昨日は、久しぶりに強めの雨が降って、車が洗車されてきれいになりましたが、今朝は、青空に白い雲がたくさん浮かんでして、賑やかな感じでした。
昨日、北山さんのブログを読んだのですが、夢を叶える手前になって躊躇してしまうことについて書かれていました。
(北山さんのブログ→ 夢が叶う扉を通るには〜イメージをしても実現しない理由 - 前向き気づき日記 (maemuki-k.com) )
これはとても他人事ではないというより、自分のことだと思ってしまいました。
やりたかった/やめたかった ことのはずなのに、いざその機会が訪れた時、思いきれなかったこと、これまでいくつもあります。
いろんな本を読んでみたのですが、自己肯定感が低いとか、心が弱っているとか、他人の目を気にしすぎとか、実は周りの同情を得たいだけで本心はそう思っていないからとか、本によっていろいろ書いてありました。それぞれ読めば正直そうかもしれないと思えます。
そして、そんな自分が嫌で、克服するための方法なんかも、これまたいろいろやってみたりしましたが、うまくいきませんでした。
ただ、わかっているのは、いざとなると怖くなる/不安になるということ。北山さんのブログに書いてある通り エゴからくる不安や恐怖に押し留められて、無難な選択をしてしまうのです。
以前書いたかもしれませんが、私は子供の頃は父親に怒られないように、母親に褒められるように努力していました。
それがいつの間にか友達に嫌われないように、さらに上司から部下から良く思われるようにと変わり、家族のためにが加わり、最終的に自分以外の世の中の他人から怒られないために、願わくば褒められるために、そして良く思われるために努力をしていました。それがわたしにとっての前提となり、生きることになっていました。 (スピリチュアル関連の知識や、瞑想をすることでそれが自覚できるようになってきました)
もちろんそれ以外、やりたいこともしていましたが、年齢を重なるうちに、やらなくてはいけないことの比率が、気づかないうちに増えていました。
今、私が目の前にしている扉、やりたいことは、もうこんな生き方を止めることなんです。
やらなくてはいけないことよりやりたいことを優先し、やりたくないことはやらない。それをすること。
でもそれは、50も半ばを過ぎた今となっては、していること全てを止めるぐらいなことを意味すします。不安や恐怖に襲われないわけがないですね (^^;
でも北山さんのブログにはこうあります、それは「あなたが逃げただけ、ということはないですか?」と。でも「たとえエゴのささやきに飲まれ夢を諦めても、環境や人のせいにせず、「諦めると選択したのは私」と思えたら、後悔も悔いもなく、それはあなたが選んで生きた人生の道です。」と。
でもさらに、「今までの人生がずっと続き、終わることと、夢を生きる自分を想像して、どちらがいいか心に聞いてみてください。」と ...
うーん (-_-)
うーん (-_-)
うーん (-_-)
(-_-) 答えは出ている
昨日からずっとこのことが頭から離れないので、それを書いてみました。
明日も天気は良さそう。空き家になった実家の草刈りに行かねば。あ、これもしたくないこと...(+_+)