日々の気づきと趣味のブログ

日常で気づいたことやスキーなどの趣味について綴っています。

苦しい時こそユーモアを

  今日は、晴れのち曇りと言った感じで、日が照らないとそこそこ寒い感じで、冬が近づいてきた感じです。

  ブログは、今朝も投稿したのですが、昨晩書いたのに、寝てしまったものでした。

  今日も書くことは、同じようなことかもしれません。

  今月に入ってから、どうも心身ともにシャキッとしないでいます。サマースキーの疲れかなと思ったりもしましたが、むしろ週末体を動かせないことが原因かもしれないと思ったりもしています。

  この週末は特に重い感じで、思ったことや決めたことを先送りしてばかりで、遅くまで寝ていて、起きても本を読んだり、Amazonでドラマを見たりと、だらだらでした。

  昨日は特にそのことでどこかイライラしてしまっていたのですが、今日になって少しだけ冷静になれて、ここが大事な所かなと気が付けたのです。

  そう、こんな時こそむしろ、そんな自分に寄り添えるかどうかが、とても大切。昨日自分で書いたことを実践する時なのです。

  ようやく知識だったものが、必要な時に出てきてくれるようになったのかな?と思います。

  昔、こんなタイトルの記事を技術者向けの雑誌で読んだことがあり、珍しくて印象に残っていました。  「苦しい時こそユーモアを」

  もう30年以上前の日経メカニカルの記事だったと思います。何か通じるものがあるのか、思い出されました。

  思うように、したいように自分が動けない時、ムチ打つのではなく、いたわれるようでいたいと思いました。

中山道 馬籠から妻籠の男滝、近くに女滝がありました。

中山道 馬籠から妻籠、途中の民家の干柿

 

スーパーヒーローじゃなくていい

  昨日は朝から良く晴れて、昼間の暑さも和らいで過ごしやすい日でした。

  最近はAmazonプライムで海外ドラマを見ることが多く、しかも疲れた日ほど視てしまい、睡眠時間を削って後悔することもしばしば。

  自分が何故か好んで視るのは、各々欠点のあるメンバーが、それによって問題を起こしながらも得意を生かして、犯人を捕まえたり、逆に詐欺で大金を得るようなもの。

  よくあるパターンですが、子供の頃に憧れた正義のヒーローが活躍するものより、今はこっちの方が緩くて楽しい。

  なのに、先日ふと気が付いたのは、自分は優れた人でないと受け入れてもらえない、そうなろうと努力しないといけないと、ずっと思い続けていたこと。

  でこぼこやいざこざがあってもチームとして協力するドラマが好きなのに、現実ではそれとは違うことを目指していたんだなぁと。

  現実はドラマと違うかもしれませんが、優れた人になれなくても大丈夫じゃないか?周りもそうじゃないでしょう?と、思ったのです。

  緩くてもいいはず。でないとしんどい。これも自作自演の厳しい世界を作り出していただけ。

  周りも自分もスーパーヒーローじゃなくても大丈夫、でこぼこが普通だし、それ


でいいのかなと思いました。(^^)

紅葉している最中の木、先週末 馬籠から妻籠まで歩いた中山道にて

騒々しいのは私の方でした(^^;

  今日もとてもいい天気で、空気は軽く、昼間は暑いぐらいでした。ただ、秋はいいなーと思いながらも、スキー場に早く雪が降らないかなーとも思ってしまいます。

  今日はすることが多く、日中は普段より慌ただしく仕事をしていました。

  今いる職場は、少人数なのに大声で話す人や自分の言いたいことだけ言う人の割合が多く、毎日騒々しい感じで、あまり好きになれないでいました。

  なので、今日のように忙しい時は余計にイライラして、ついきつめにモノを言ってしまうことが時々ありました。

  なのに意外だったのは、その人たちの対応の方が大人と言うかマイペースで、言い合いになるようなこともなかったのです。

  その人たちの言動は、私にとって騒々しいだけで、彼らのマイペース。何かにイラついたり不満があってしてることではないと言うことに気が付きました。

  もうしろ表には出さず、心でイライラしていた私の方が、騒々しい日々を過ごしていたんです。

  周りの空気をあまり読むこともなく、自分のペースで過ごしている彼らの方が、ストレスなく仕事に向き合っているのかもしれません。

  実際のところはどうなのかわかりませんが、今日のような見方をしたことが無かったので、ハッとさせられました。

  彼らに対する見方が少し変わり、彼らと同じ職場で働くことをどう感じるのか、少し楽しみで心が軽くなった感じがしています。

Sunshine Village, Banff, Canada 柵を越えればその先は冒険の世界

 

普通なのが凄い

  今朝は、遠くの御岳山も綺麗見えて、秋らしい、空気の澄んだ良い天気でした。

  昨日は、瞑想セミナー2を受講して、チャクラを整えることの大切さやその方法を中心に習いました。

  しれっと書いてはいますが、チャクラを見たことはありません。

  セミナーを受けて驚くのは、見えない世界のことなのに、当たり前のこととして説明が進むこと。「~みたい」とか「おそらく~」ではなく、「~です」とか「だから~」なのです。

  でも、うそや無理がある様子はなく、自然で普通なのです。

  スポーツでも勉強でも、天才は普通の人が自分と同じようにできないのが逆に不思議で、何でできないの?と思うのと同じように、見えない世界も感じ取れる人には、もはや当然なんでしょうね。(北山さんは以前は全然そうではなかったとのことですが)

  大谷選手の二刀流にしても、周りから無理と言われても、自分では「できるんじゃないか?」と力みなく普通に思っていたんじゃないかと思います。

  その一方で、同じように参加された方の中に、毎回、見えない世界とのつながったことをシェアされる方がおられて、「えーーーっ!」と驚いています。

  でも、セミナーでそういう環境に居ると、何かそれが普通に思えてしまうことも、受講する価値のひとつかもしれません。

  環境を変えることが大切なのは、自分の中の普通が変わるからかもしれません。

Banff の人にはこれが普通?

 

ダメもとで訊いてみる

  昨日の夕方は、雷が遠くで何度も光って、時々ゴロゴロと音も響いてきて、雨は少ないわりに、荒れ模様な空でした。

  帰宅してアマゾンでビデオを見ているうちに寝てしまい、今日は早朝から風呂と洗濯、そして瞑想(10分ですが)をしました。(生活のリズムが年寄りっぽくなってきた?)

  時々、瞑想中にダメもとで「何をしたくて生まれてきたのか?」みたいなことを自分に尋ねてみたりします。

  よくわからないことが思い浮かんだりするのですが、今朝は少しわかりやすいものが思い浮かびました。

  私はいろんな場面で特に人前で緊張するタイプなのですが、それはリラックスを味わうために必要な性格だったというようなこと。

  本当かどうかわかりませんが、今までその性格は悩みの種だったのですが、それを受け入れられた感じで、ホッとした感じがしたのです。おなかの辺りがちょっと緩むような。

  だからどうとかいうことは無いのですが、気づきとしてなんか良いものだった気がします。ダメもとでも訊いてみることは大切かもしれません。

雨上がりの夜明け、身近にある絶景

 

見えない世界と気づきについて

   今朝は曇りでしたが、昼間は秋らしい空気の澄んだ気持ちのいい日でした。

  見えない世界のこと、スピリチュアルなんかでは、自分のことを大切にするとか、自分に優しくするとか、頻繁に言われます。

  それらがどういう事か知ることは、物理や数学の公式とは違って、とても簡単。「ああそうか、なるほど」と思うのですが、そのことに気付くこと、自分が自分を大切にしてなかったことに気が付くのは、全く別物。

  難しいというか、頑張りようがない。しかも、Yes かNoかしかなく、気付くまで、どうしようもない。

  気付いてしまえば、間違えようがなく、何でこんなことに気付かなかったのかと不思議なぐらい当たり前になる。

  私は、今日自分を責めていたことに、また気が付きました。今までも何度か気付いたと思っていましたが、今日のは何の脈絡もなく、突然、「俺、責めてるわ」と気が付きました。

  今日のに比べると、今までのは頭で考えて理解した感じだったのかもしれません。それまでは、気が付いたと思っていたのですが...

  気付きにも、レベルと言うか、深さと言うか、段階があるのかもしれません。思考から離れるほど、同じことに対する気付きのレベルが上がるのでしょうか。

  「気付き」

蝉が岳への林道入口 ここから始まった私のバックカントリー
今シーズンはどこへ行けるかな


、一言ですが奥が深そうです。

頑張ることをしたかった?

  今日もいい天気でしたが、半袖でいられる時間が短くなって、長袖を着ている時間が長くなってきた気がします。秋は深まり冬へ向かっている...

  よく昭和の人間は、努力や自己犠牲を良しとして教育されたため、私ぐらいの年齢になると、何で人生をそんな風に過ごしてしまったのか、もっと楽しさを求めればよかったと、取りっぱぐれ感に苛まれると聞きます。

   実際、私もその一人なのですが、今日気が付いたのは、自分でも意外だったのですが、この世に生まれて「努力をしたり、頑張ったりしてみたかった」です?!

 若い頃は勢いだけで体を酷使してきついのに頑張った、40代からは心を酷使して辛いのに頑張った、どちらも思いっきりやったとは思います。

  残念なことに、その結果は望んだものにならなかった。そして、そこしか見ていなかったし、それを疑うこともありませんでした。

  でも、確かに思いっきり努力や頑張りはできたのです。やらなくては、と思ってやったと思っていましたが、もしかするとやりたくてやったのかもしれないなんて。

  全ては最善で起きているとか、潜在意識で望むことが現実化するのであれば、やりたいことがちゃんとできていたのかもしれません。

  まじか~、と思いますが、少し心がホッとしました。自分がやりたかったんならしょうがない。これ以上はもういらないけど (-_-)

  今日も、昨日と似た結論ですが、次はもう少し穏やかに幸せに過ごすことを望むようにします (^^)

バックカントリースキー 乗鞍岳 もうすぐ雪山の季節がやってくる!