先日、「自分を受け入れる」を検索していて、斎藤恵一さんという方が書かれた「自分の存在を肯定する生き方をしよう」(2022/03/11)という記事に出会いました。
こちらです→自分の存在を肯定する生き方をしよう | セゾンのくらし大研究 (saisoncard.co.jp)
その中でなるほどと思ったのが、自分の中に「見つめられる自分」と「見つめる自分」がいると言う考え方。
前者は失敗したりした時に落ち込んだり悲しんだりしている側の自分で、後者はそれを責めたりしてしまう側の自分という考え方です。
実際に自分が弱気になった時、それに寄り添えるか責めてしまうのかを分けるのは、後者の「見つめる自分」の態度ひとつだと実感できます。
そして、たいていの場合、無意識でいると、気が付いたときには「見つめる自分」は責める側に立って、かつて厳しかった親、何かと気にしてしまう世間、等々に成り代わって厳しい目で、もう一人の自分を見つめている状態になっています。
似たようなことは聞いたり読んだりしたことはありますが、見つめる/見つめられるとう表現によってとても認識・イメージしやすくなった気がします。
厳しい側に立っていることに気が付ければ、自分に寄り添う側に変わることができます。これは頭(思考)でできるので、ありがたいことに私にもできます (^^)/
先日から気を付けるようにしていますが、以前より気づける回数が増えて = 自分に寄り添える回数が増えたように思います。 続けてみようと思います。